100文字じゃ書ききれない時、書くブログ

ブコメの100文字制限でどれだけのことを伝えられるか頑張ってます。で、書きたいことが100文字で収まりそうにない時に、こっちに書こうと思います。

夫に優しく出来ない増田さんに届けたい。どうやって僕は再び嫁さんと仲良くなれたのか。

anond:20160713160607:title=夫に優しく出来ない増田さんに届けたい。どうやって僕は再び嫁さんと仲良くなれたのか。

この記事は、以下のはてな匿名ダイアリーの記事に対する、僕なりの回答です。

anond.hatelabo.jp
嫁さんが同じような状態だった僕ら夫婦がどうやって乗り越えたのか、その経験が増田さんの関係改善のヒントになればと思い、この記事を書く気になりました。

 

アラサー、結婚して6年、3歳の子と4ヶ月の二人の子供がいる。嫁さん育休中。

ブコメにも書いたけど自分の嫁さんが書いたものかとオロオロしながら読んでいました。
境遇も近いものがあって、本当に他人事に思えなくなってしまいました。

 

旦那さんに酷い言葉を投げつけてしまう増田さんですが、まだ増田さんは旦那さんの好きな桃を用意してくれるし、旦那さんもそれを食べてくれる。
小さいことですが、これは相手を想ったコミュニケーションをお互いができている、ということだと思います。

 

だから、今からじゃ遅いなんてことは全然ないです。

僕は増田さんが「理想の夫婦」になりたいと願っている今、その願いに向かって進む何かのヒントになればと思い、初めてブログというものを書いてみました。
説教臭いことはなるべく言いません。ただ、似たような夫婦だった僕と嫁さんが、どうやって再び仲良くなったのかを、ちょっとお話してみようと思います。

 

基本的に、旦那さんって生き物は嫁さんのことが好きです。基本的には。

なのでいつでも仲良くなりたいなぁって希望を持っています。

ただ、その「仲良く」を実現するために動けるかどうかは、どうしても嫁さんとの関係性が重要だと思います。

必要なことはキッカケ。それさえあれば、増田さんが思い描く「理想の夫婦」に、一歩ずつ近づいていく道を拓けるんじゃないかな?と思っています。

僕は、幸運というのは難しい出来事ですが、あるキッカケで、今のところ夫婦仲良く過ごしています。

 

ここから、ちょっと昔話にお付き合いください。

 

嫁さんが優しくない時の僕の生活はこんな感じでした。

僕も嫁さんから酷い言葉を投げかけられた経験は何度もあります。
僕の前職も結構激務で、早い時で帰宅が22時。通常運転は終電で帰宅は深夜の1時。朝まで仕事してそのまま帰らず翌日の終電まで働くこともありました。
残業代が固定だったのでいくら働いても給料は増えず、酷い月は時給換算で800円を割ることもありました。

 

フラフラになって家に帰った時、たいてい嫁さんは帰りを待たずに寝ていました。よかった。今日も会話しなくて済む。そもそも会話するだけの気力からして無かった僕は、本気でそう思いながらそっと布団に入って寝ていました。

 

もし帰宅したとき、嫁さんが起きていたら。

 

「おつかれ、おかえり」の代わりに罵倒が始まり、こちらが心頭滅却して聞き流しに徹しても物凄い殺意の波動でゴリゴリ睡眠時間とメンタルを削ってきます。

ウチの嫁さんは結構カンタンに言ってはいけない一線を越えてきました。「アナタがノロノロ仕事している間に私がどれだけ苦労してるか知ってる?」から始まり「結婚するんじゃなかった」に続き「もう離婚しよう」に繋がります。他にもいっぱい言われていた気がしますがあんまり覚えていないです。

 

反撃はしませんでした。反撃したらその倍になって罵倒が返ってくるし、それに付き合う気力も体力も残ってないし、次の日も仕事だし。

第一、嫁さんと喧嘩なんかしたくなかったし。

 

もうひと昔まえの話をしますね。順番があべこべでゴメンナサイ。

 

 

子どもが生まれる前は仲の良い夫婦でした。

夫婦2人で生活していた時は、休日になれば昼ちかくまで寝させてもらって起きたら一緒にテレビを見ながらブランチ。

特にやることがなくても一緒にクルマで出かけてウィンドーショッピングしたりカラオケしたり雰囲気良いカフェをさがしてゆったり過ごしたり。

平日だって、嫁さんは自分も仕事してるのに、僕の帰りを晩ご飯も食べずに起きて待ってくれて、一緒にご飯食べてくれて、一緒の布団で寝ていました。

 

しかし、子供が生まれると生活は激変しました。主に嫁さんが。

朝から深夜まで、酷い時はそもそも帰ってこない僕の代わりに、掃除 洗濯 洗い物 ゴミ捨て 家計や銀行口座などお金の管理 自動車保険 医療保険 生命保険 学資保険の検討と管理、それと平行して昼夜を問わず1〜2時間おきに泣き出す子どもにミルクをあげおむつを変えそれでも泣き止まない時は泣きつかれて寝るまで抱っこし続ける。

睡眠時間は僕より短くなりました。体力的にもパソコン仕事の僕より確実に消耗していました。

 

それでも休日になると、早くから起きて家事育児をしている嫁さんと遅く起きた僕は一緒にブランチを食べ、子どもと一緒にショッピングやランチに出掛けて、昼寝の時間には家に帰って、子どもが寝ている間に一緒にテレビをみたりして穏やかに過ごしていました。

僕に元気がある時は、晩ご飯を作ってあげて(チャーハンとかカレーとか簡単なやつね)子どもと一緒にお風呂に入って、嫁さんと一緒の布団で寝ていました(子どもはベビーベッド)。

 

で、地獄の1週間がまた始まって、嫁さんは家事と育児に、僕は仕事(と嫁さんの罵倒)にゴリゴリとメンタルとフィジカルを削られながら、来る週末を希望の光と耐えてきました。

 

2歩進んで5歩下がるような毎日。

折り返しの水曜日には嫁さんの機嫌も悪い方に転落して金曜日に不機嫌のピークを迎える。そして土日で回復。

でも実際は、少しずつ夫婦の溝は深まっていて、いつか取り返しの付かないところまで広がってしまうような怖さがありました。あったけど、それは目に見えないからあえて気づいていないフリをしていました。

 

...これだけ聞いた人は「子どもなんて産んでもいいことなんか無い」って思っても当然のような気もします。正直なところ、僕も嫁さんも、心が相当弱っていた時はそんなことを考えたことがありました。でも、その時の自分たちは気づけませんでしたが、その気持ちは心が弱った時に見る幻覚のようなものだったと、今は確信できます。

僕たち夫婦が元通り、よりももう一歩前進するキッカケをくれたのも、子どもでした。

 

突然の訃報と、問答無用の二人暮らし

息子が1歳になり、保育園に預け始めてしばらくした頃、嫁さんの祖父が亡くなられました。

 

僕たちが結婚した時にはもう高齢でしたが、はるばる遠方から結婚の報告にお伺いした時、やって来た孫娘と婿を一族総出で歓迎してくれた、心優しいおじいちゃんでした。
夏休みになったらひ孫の顔を見てもらおうと、旅行の計画を立てている矢先の出来事でした。

 

嫁さんは連絡を受けた翌日早朝に自分の両親と飛行機で向かうことになりました。
帰ってくるのは翌々日の晩。まる2日を息子と二人で生活することになりました。

土日じゃなく、平日に、です。

 

「コッチの事は心配しないで、しっかり見送っておいで」と僕は言いましたが説得力はまったくありませんでした。

生まれて初めてママがいない日々を過ごす息子とパパ。しかもパパの方は終電が常連の人間です。
そもそも閉園までに保育園に迎えに行けるのか?心配しないでといった本人が一番心配でした。

 

翌日の朝、嫁さんは出かけていきました。息子と一緒に玄関先で見送ったあと、さっそく登園の準備。急いでスプーンとフォークとコップと歯ブラシと替えのおむつとハンドタオルとフェイスタオルと寝間着と連絡帳とビニール袋を保育園バッグに詰めて出かけようとしたら息子の体温はかるのを忘れてたので慌てて計ってみたら37度5分でした。

 

…ご存知の方もいるかもしれませんが、保育園は37度5分以上発熱した子どもは預かってくれません。
結局、翌日も熱があり、会社に事情を説明し有給をもらって、まる2日間、息子と2人で過ごすことになりました。

 

1歳そこそこの子どもは、もう自分であちこち歩くことはできるけど、それ以外はまだほとんど赤ちゃんです。クチに入るサイズのもの(小銭とか)でも、入らないようなもの(テレビのリモコンとか)でも、何でも口に入れるので、おいそれとは気を抜けません。

あとすぐコケます。すぐ泣きます。お腹が減ったり眠かったりおむつが気持ち悪かった時に泣きます。なにもなくても泣きます。甘えたいだけで泣きます。抱っこしたら泣き止むけど、下ろしたら泣きます。1歳ですが体重はおよそ10kgあります。それを30分以上、長ければ1時間以上抱き続けるので確実に筋肉痛になります。

2日あれば夏の子どもの着替えなんかスッカラカンになるので洗濯必須です。おむつは1日10回近くは変えてると思います。夜は2時間おきに泣かれ、ミルクをせがまれます。哺乳瓶は消毒が必要なので頻繁に洗ってミルトン(消毒液)に漬けておかないとミルクを泣きせがまれたときに大変なことになります。

 

…もっといっぱいいろんなことがあった気がしますがあんまり覚えていません。多分それだけイッパイイッパイだったんだと思います。

唯一の救いだったのは、得意先や会社からの電話が4〜5件で済んだこと。事情を知った会社の同僚や上司が代わりに動いてくれたり、現場の方々が頑張ってくれていたお陰です。感謝の言葉もありません。

 

 

帰宅するなり開口一番、僕の不出来を愚痴る嫁さん

嫁さんが帰ってきたのは二人暮らし2日目の夜遅くでした。

 

中々寝ない息子を抱っこしてようやく寝かしつけたときに帰宅した嫁さんが見たものは、散乱し放題のおもちゃと絵本。流し台には現れていない食器と哺乳瓶。部屋にはたたまれていない洗濯物、洗濯機には干されていない洗濯物。

 

「クッタクタになって帰ってきたのに、この散らかりようは何?調乳ポットにもお湯は入って無いし、◯◯(息子)は着替えても無いじゃない」
疲れているせいか、声は強くなかったですが、残念そうにため息まじりに吐き出された愚痴。

普段は聞き流している愚痴や罵倒も、今回ばかりは我慢できませんでした。
少なくとも、まる2日間つきっきりで子どもの世話をしながら家事もして、ちゃんと寝かしつけまで出来たのに、その言い草はいったい何様だ!?

 

「こっちだって大変だったんだからな!」

そう言ってしまいました。疲れてるのはお互いさま、いや自分より嫁さんのほうが大変なんだから。そう思って、それだけは言わないでおこうと思ってた台詞を口にした時、嫁さんは勝ち誇ったようなドヤ顔をしていました。

 

「大変やったやろ〜(関西弁)」

 

そうでした。

僕はたった2日で音を上げてしまいましたが、これを嫁さんは毎日、僕なんかよりもっと上出来にこなしていました(晩飯がカップラーメンの日とかはありました)。

無給でかつ、重労働。そんな嫁さんの「仕事」を、僕はわかっているようで、本当の意味で理解できていなかったんだとわかりました。

だから僕は、仕事が終わって終電で帰ってきても、息子と寝ている嫁さんに感謝や労いの気持ちを持つことなく、ただ自分が消耗せずに済むことにホッとしていました。

 

息子を一人きりで面倒を見たことで僕は大変さを実感として理解しました。
この出来事が僕にとっての「キッカケ」でした。

 

後日談(もうちっとだけ続くんじゃ)

それから僕はその時の仕事を辞めました。
前述のとおり会社に悪い人はいませんでしたが、家族とどちらが大切かと訊かれても即答できるくらいには、家族を大事に思うようになっていました。

 

それからは嫁さんと積極的にコミュニケーションを取るようにしました。
特に特別なことはしていません。ただ、コミュニケーションを取ることを心がけるようにしました。

 

嫁さんが帰ってきた晩、僕は息子と一緒にいた時の出来事を話したり、嫁さんの2日間を聞いたりしました。

そういえば翌朝、起きた息子は2日ぶりに嫁さんの顔を見たのですが、それほど大喜びしなかったので嫁さんはちょっとしょんぼりしていました。

逆に2日間、息子と遊び倒した僕は、「土日だけ顔をみるおじさん」的な立ち位置から、「一緒に遊んでくれるともだち」くらいまでは距離が縮まりました。そのことも嫁さんにとっては何か悔しかったみたいです。

 

その後の僕は、これまで聞き流していた愚痴をちゃんと聞いて、謝って、次からこうするからって改善策を示して、出来なくてまた怒られたりしました。

嫁さんは嫁さんで、愚痴や文句はもちろんありましたが、それだけではなく息子と一緒にいた時におこった出来事や保育園で保育士さんにきいた出来事を伝えてくれました

僕は僕で息子に起こった出来事に一喜一憂するようになりました。
保育士さん達には日頃から感謝はしていましたが、息子に対して本当に愛情を持って接してくれていることがわかって、一人ひとりの保育士さんに、個別に感謝の気持ちを持つようになりました。

 

会話が増えたのはなにも子どものことだけではありません。
何よりもよく聞くようになったのは、嫁さんに起こった出来事だし、嫁さんが僕の話をよく聞いてくれるようになりました。

お互いのことにもう一度興味を持てるようになったのは、僕にとってはとても嬉しい変化でした。

そうこうしているうちに、二人目を授かって、今に至ります。

 

 

これは「時間」にしか解決できない問題

僕は、コミュニケーションをとり続けることが、増田さんの言う「理想の夫婦」に近づいていくための唯一の道だと思っています。
ただ、今はまだコミュニケーションをとれる環境ではありません。

 

コミュニケーションには体力が絶対に要ります。体力が限界に近いときのコミュニケーションは、どう頑張っても今の増田さんがやっている「攻撃」になってしまいます。もしくは、旦那さんのようにコミュニケーションを「諦める」かどちらかです。

 

体力の回復には休息が必要です。どれだけ休息できるか、それはどれだけ「時間があるか」とイコールです。
しかし、増田さんにも旦那さんにも、決定的に時間が足りません。

 

お互いの気持ちをお互いの相手に向けるためにには、お互いの時間を確保することが絶対に必要です。
でも、どうやって確保するか。

 

僕は、自分がそうだったように、旦那さんが転職することが最良の選択肢だと思います。

 

旦那さんが増田さんやお子さん達に時間を割くようになれば、増田さんの負担も少なくなり刺々しい言葉も丸くなって、互いの距離は少しずつ近づいていくと思います。

ただ、ご存知のこととは思いますが、そのためには幾つかのハードルをクリアしないといけません。

 

このままでは、増田さんの負担は旦那さんが協力的になるまで減りませんし、そもそも旦那さんが協力的になる「キッカケ」が何もありません。

 

どうやってこれらのハードルをクリアしていくか、そもそもクリアすべきハードルはいくつあるのか。

僕は、僕が増田さんだったらどうするか、というか僕の嫁さんだったらどうしたか、という確信めいた予想がありますが、ちょっと時間が来てしまいましたので、もしこの記事に反響があれば続きを書こうと思います。

 

だいぶ長くなってしまいました。実はここまで書くのに12時間くらいかかっていて、折角の休みなのにちっとも相手をしてくれない旦那を散々愚痴って子どもと一緒に寝てしまいました。

 

まぁ、なんとか「日曜までに書く」が果たせたと思います。