100文字じゃ書ききれない時、書くブログ

ブコメの100文字制限でどれだけのことを伝えられるか頑張ってます。で、書きたいことが100文字で収まりそうにない時に、こっちに書こうと思います。

君は助けなくていいよ、僕が助けて、ヒーローになるから。君は助けなくていいよ、僕が助けて、ヒーローになるから。

先日こんな投稿を目にした。

www.facebook.com

駅で痴漢にあう6歳の子どもに遭遇し、周囲に助けを求めたけど誰も助けてくれなかった、という話。

それに対して僕は、

仁藤 夢乃 - ‪今日の14時半ごろ、渋谷から山の手線に乗っていたら、私の前を6歳の女の子が通り過ぎた。そのあとすぐ、... | Facebook

サラリーマン3人も後で激しく後悔してると思う。日常を捨て緊急モードに切り替わるには心の訓練が要る。僕は中学の時に遭遇した死亡事故を契機に、心に非常ベルを取り付けたが、コレを鳴らすのは本当に勇気が要る。

2018/07/06 06:52

b.hatena.ne.jp

というブコメを残した。とても多くの星を頂いてありがとうございます。

 

でも思ったより否定的な意見「助けないのが当たり前」的なコメントがあまりにも多くて、「そういう世の中なんだ…」と流して社会に迎合するのが嫌だったので、そういう空気がはてなに充満するのがいやだったので、何か書きました。
今日も仕事で時間ないから書きなぐるだけなぐって、あとで足したり直したりする。


助けない気持ちもわかる

見ず知らずの人からいきなり「1万円貸してください!」と言われたら、 「ホイきた!」と渡せるほど、僕はきっぷの良さも財力もない。

今回の場合も、心理的には同じ感じだと思う。たとえそのお願いが 「一緒に手をつないで歩いてください」だったとしても、 相手が自分の好きなタイプの異性だったとしても、難しい人には難しいとおもう。 逆に「それならホイきた!」と乗ってしまう人にはそれはそれで「いろいろ気をつけて!」と言いたい気もする。


だから、無理に自己正当化する必要はないですよ? 「男性には『女性を助けるべき』という性別役割が求められており」とか 難しい話で煙に巻いて自分を慰める必要はないです。

でもね、もし子どもが「助けて!!」と言ったとき、 もし複数人の女性が動いて助けてあげて、誰一人男性が動かなかったとしたら、 なんとなく気恥ずかしい気持ちとか、情けない感情が沸き起こる気がしませんか?

もしくは「これだから女どもは後先も考えず…」とか思いましたか?

もし上記どちらかの感情が湧いたなら、あなた自身、まだジェンダーの呪縛に囚われていると思います。


「性別役割」とか関係なくないですか?

だってあなたは「求められる側」かつ「男(おそらく)」なんですよ? 条件揃ってるんだから、あとはあなたが助けたい気持ちを持ってたら何の憂いもなく助けられるじゃないですか。

仮にあなたが女性だったなら、憤慨する気持ちもわかります。

「私は女というだけでいつも助けられる側とみなされる。私は助ける側になりたいのに」となりますから。

これが正しいポリティカル・コレクトネスじゃないですか?正しい2回言ってますが。


男性でも女性でも助けたい人が助けたらいいんですよ

たとえ助ける側が「男性」を指名して助けを請おうが、助けたいと思う気持ちを持った人が助けたらいいんですよ。

そこは助ける側の信念の問題です。助ける、という行動に出られる人は男女関係なく、 「求められたら助ける」ことを覚悟している人です。


今回はたまたま、「男性」を指名して助けを求められました。

でも、もしあなたが普段から助けを求められても助けない、という信念のもとに行動しているのなら、 そこに性別は関係なくないですか?

そこに性別を持ち込むなら「助けるのは女性であるべき」とか 「女性を助けるのは女性であるべき」みたいな話になってしまいますよね。これは現実的に一般化は難しいというのは分かってもらえると思います。

 

なら「助けたい人が助けたらいい」という論理がいちばんしっくり来ると思いませんか?

その条件の中に「助けを求める側が何を求めてるか」なんて入ってないですよね。

 

だったら助けたあとで

「私は男だから助けたのではありませんマドモアゼル。私はあなたを助けたいと思ったから助けたんです」

とでも言ったらバッチリじゃないですかね。

 

あなたが女性なら

「私は女だけどあなたを助けたわ。私は男でも警察でも医者でもないけど、困ってる人がいたら助けることにしてるの」

こんな感じでしょうか?こんな人が目の前にいたら間違いなく惚れますね。性別関係なく惚れます。


そこでもう一度問います。あなたは自分が「男性」だから助けたくないのですか?違いますよね。

あなたはあなたが助けたくないと思っているから助けないだけです。あなたの性別は関係ありません。

男性・警察・医者を名指しで助けを請われようが、あなたがポリコネの信念のもとに行動するとき、 性別は関係ないんです。

 

別に状況を見て判断してもいい

「女性を指名して助けを求めている。今回はやめておこう」の判断はあると思います。

何か男性には知られたくないデリケートな問題があるのだろうと察しますから。

逆に「男性を指名して助けを求めている。今回はやめておこう」と女性が思うのもわかります。

女性は相対的に腕力が少ないので「男性を指名ということは力仕事が求められている」と直感的に判断するでしょうから。

 

でも「男性を指名して助けを求めている。今回はやめておこう」と男性が思うのはおかしくないですか?

もし本当にそう思っているなら、僕はあなたを軽蔑します。

だってそれはただの信条の違いでしかないでしょう?それが原因で性被害に遭ったり、殺されたりするのは自業自得ですか?違うでしょう?


だったら、助けを請う側がだれに助けを求めようが、あなたが「助けない」と判断したなら、 べつに性別役割なんか考えずに毅然としてればいいんです。

何も言い訳する必要もない。合理性を論じる必要もない。助けないという判断はあり得る。

 

でもそれをさも当然の権利として主張するのは止めて欲しい。

 

せめて「もし本当に大変な事態だったら、自分が助けなかったことでもっと酷い事態になってやしないか」という心配になる気持ちは人として持って欲しいと思う。

 

そしたら、たとえ助けの求め方が間違っていたとしても、助けに動く人、実際に助かる人も増える。

騙される人も増えると思うけど、その点は別に書きたい。

 

 

そうしてるうちに、僕が助けて、ヒーローになるから。


ヒーローは希少価値なんですよ。

みんながヒーローだったらそれはみんな一般人なんです。

だから助けられないことを恥じることは無い。

助けることにはリスクがある。 間違うリスク。騙されるリスク。殺されるリスク。だから普通の人は助けない。


そのリスクを冷静に判断し、その上でやっぱり助けるからヒーローなんです。

 


出勤の時間になってしまいました。 反響があれば書き足したり別立てしたりする。